こんにちは。高垣です。今日は風山漸について書いていこうと思います。
何年も同じことについて考えていると、私や他の人は少しも進んでいないのではないかと思うことがあります。
私は一年前にも考えていた。
また、数年前にも同じことで悩んでいた。
一度は答えを出したはずなのに、また同じ問いへ戻ってきました。
そんな自分を見ると、「結局、何も成長していないのではないか」「同じところをぐるぐる回っているだけではないか」と感じることがある。
しかし、本当にそうでしょうか?
同じ問いに戻っていても、考えている位置まで同じとは限りません。
去年と今年では、経験が違います。
知っていることも変わっています。
誰かとの会話によって、新しい考え方を知っているかもしれませんよね。
以前には気づかなかったことが、今なら見えることもあるでしょう。
同じことを何度も考えるのは、本当に堂々巡りなのでしょうか?
私は、思考には一直線に進むだけではない成長の仕方があると思っています。
運動場の周回トラックなのか?それと、螺旋階段は同じように見えて違うものってことです。
風山漸とは|変化はいつも目に見えるとは限らない
風山漸は、上卦が巽、下卦が艮から成る卦です。
「漸」には、次第に進む、段階を追って進んでいくという意味があります。
風山漸というと、
「焦らず進みましょう」
「ゆっくり時間をかければうまくいきます」
という説明をされることがあります。
もちろん、徐々に進むことは漸の重要な性質です。
しかし、今回私はもう一つの部分に注目したいと思います。
それは、
変化が小さいために、自分自身でも進んでいることに気づきにくい
ということです。
昨日と今日を比べても、ほとんど違わない。
一週間前と比べても、大きな変化はない。
しかし、何か変わっているのです。一日一日、日々。
ところが数年という単位で振り返ると、考え方や見えるものがかなり変わっている。
人間には、そういう成長があります。
漸とは、劇的に場所を移動することだけではありません。
目立たない変化を重ねながら、いつの間にか以前とは違う位置へ移っている。
あなたの視座が変わっているのです。
映画を何度も観るように。見え方が変わっているのです。
同じことを考え続けるのは本当に堂々巡りなのか
私は考えること自体が好きです。どちらと言えば行動するよりも得意です。
結果だけが報酬なのではなく、考えていることそのものが報酬になることがあります。
そのため、間を開けて一つの問いへ何度も戻ることがあります。
外から見れば、
「また同じことを考えている」
ように見えるかもしれません。
しかし、同じ問いに戻ることと、まったく同じ思考を繰り返すことは違うことです。
昔読んだ本を、何年か経ってから読み直すとします。
文章は一文字も変わっていません。
ところが、以前には何とも思わなかった一文が強く響くことがあります。
「あのときは、この意味が分からなかった」
と思うこともあります。
変わったのは本ではありません。
読む側、つまり、私やあなたです。
同じことは、自身の問いにも起こります。
以前出した結論をもう一度考える。
昔の失敗を別の角度から見る。
ずっと考えてきた人生の問題へ、また戻る。
問いは同じでも、問いを見ている自分は変わっています。
昨日と同じ問いを考えていても、昨日と同じ自分が考えているわけではありません。
実は、同じように見えて同じ問いは一つもありません。
思考は円ではなく「螺旋階段」になることがある
ここで、生活の中での、私達の思考の螺旋階段を思い浮かべてみます。
真上から見れば、人は同じところをぐるぐる回っています。
一周して、また同じ方向へ戻ってくる。
そこだけを見れば、円運動です。
しかし横から見ると違います。
一周するたびに、少しだけ高さが変わっています。
同じ方向へ戻ってきたときにも、以前とまったく同じ場所には立っていません。
私は、人間の思考にも似たところがあると思います。
同じ問いへ戻る。
考える。
一度離れる。
また戻ってくる。
そこで新しい経験や知識が加わる。
以前とは少し違う角度から考える。
また一周する。
その繰り返しによって、思考が少しずつ深くなることがあります。
つまり、
同じ問いに戻ることは、必ずしも後退ではありません。
思考は螺旋階段のように、同じ場所を通りながら少しずつ高さを変えることがあります。
ただし、風山漸そのものが「螺旋階段」を意味するということではありません。
風山漸が持つ、段階を踏みながら少しずつ進むという性質を、私は思考の成熟へ翻訳して考えているのです。
そして、行動につなげるべきです。
昨日と同じ問いでも、考えている自分は同じではない
思考が変化するためには、思考そのものだけが必要なのではありません。
時間も関係します。
経験も関係します。
新しく得た知識もあります。
人との会話によって見方が変わることもあります。
さらに、体力や環境によっても考えられる深さは変わります。
以前には何時間考えても分からなかったことが、時間を置いたあと突然分かることがあります。
反対に、昨日はかなり深く考えられたのに、今日は何もつかめないこともあります。
だから、人間の思考は自分の意思だけで一定に進むものではありません。
さまざまな条件と噛み合いながら変化します。
一年前の自分と今の自分では、その条件そのものが違います。
それなら、同じ問いへ戻ったとしても、以前とまったく同じ答えしか出ないとは限りません。
問いが変わっていなくても、自分が変われば見えるものが変わります。
少しずつでも行動をしていくことで変化の種を見つけられるかも知れません。
小さな変化は、自分では気づきにくい
風山漸を考えるとき、ここが重要だと思います。
大きな変化は分かりやすいものです。
昨日までできなかったことが、今日突然できる。
今まで知らなかった答えを、突然理解する。
そうした変化なら、「成長した」と感じやすいでしょう。
しかし現実には、もっと小さな変化があります。
日々のことです。
以前より疑問が具体的になった。
前には二択でしか考えられなかったことを、三つ目の可能性から見られるようになった。
昔は相手が悪いとだけ思っていた出来事について、自分側の問題も見えるようになった。
以前出した結論を、自分で修正できるようになった。
どれも劇的ではありません。
しかし、考えている位置は少し動いています。
反復と停滞は同じではありません。
変化が小さいから見つけにくいだけで、実際には一段ずつ動いていることがあります。
周囲だけではなくあなた自身も変化していきます。
風山漸が教える|成長は一直線でなくてもいい
私たちは、成長を直線で考えやすいところがあります。
昨日より今日。
今日より明日。
一度解決した問題には二度と戻らない。
分かったことは、もう迷わない。
しかし、人間はそれほど一直線には進みません。
以前分かったと思ったことが分からなくなることもあります。
昔の問題へ戻ることもあります。
一度出した答えを取り消すこともあります。
それでも、必ずしも後退しているとは限りません。
以前より多くのものが見えたから、簡単な答えでは納得できなくなった可能性もあります。
むしろ思考が深くなったことで、問いが複雑になることさえあります。
風山漸を「遅くてもいい」という言葉だけで終わらせたくありません。
「遅くてもいい」というのは解釈の一面です。
重要なのは、遅さそのものではなく、
小さくても実際に位置が変わっているか
だと思います。
着実に変化は起こるものです。
反復と停滞をどう見分けるか
ここで一つ反論があります。
「同じことを何度も考えているだけなら、本当に堂々巡りなのではないか」
これはその通りです。
すべての反復を「成長している」と呼ぶことはできません。
円を回っているだけのこともあります。
では、何を見ればよいのでしょうか。
たとえば、
新しい経験が加わったか。
問いの立て方が変わったか。
以前とは違う結論の可能性が見えたか。
以前には気づかなかった部分が見えるようになったか。
こうした変化があるなら、同じ問いでも同じ位置ではない可能性があります。
また、
「風山漸なら、何年かかってもいいのか」
という疑問もあります。
これも違います。
物事には進化が必要です。
漸は「遅ければ遅いほどよい」という意味ではありません。
時間だけ過ぎて、何一つ変わっていないなら、それを進展と呼ぶ必要はありません。
小さくても、実際に何かが動いていること。
そこが重要です。
そして、
「早く答えを出せる人のほうが優秀ではないか」
という考えもあるでしょう。
仕事など、速度が重要になる場面は確かにあります。
しかし、答えを出す速度と思考の深さは同じ尺度ではありません。
早く答える力と、一つの問いを長く考え続ける力は、別の能力です。
時間をかけることで、答えに深みが加わります。
まとめ|同じ場所に戻っても、高さは変わっているかもしれない
目標は高い視座を手に入れることです。
同じ問題へ戻ると、
「またここか」
と思うことがあります。
一年前も考えた。
数年前も悩んだ。
また同じところへ戻ってきた。
そう感じると、自分が何も成長していないように見えます。
しかし、一度横から眺めてみると違うかもしれません。
同じ場所を回っているように見えても、その一周のあいだに経験が増えています。
知識が増えています。
人との出会いがあります。
自分自身の考え方も少し変わっています。
だから、問いが同じでも、それを見る位置まで同じとは限りません。
成長は、一直線に前へ進むことだけではありません。
風山漸の「漸」は、大きな飛躍ではなく、段階を踏みながら少しずつ位置を変えていく動きです。
それを思考へ翻訳するなら、
同じ問いへ戻るたびに、以前とは少し違うものが見える。
その小さな違いを積み重ねることも、一つの成長だと考えることができます。
同じ問いへ戻ったとき、以前と同じ場所にいるとは限りません。
風山漸のように、目には見えにくくても、一周するごとに少しずつ高さを変えていることがあります。
あなたが何度も戻ってしまう問いは、本当に同じ場所を回っているだけでしょうか。
以前より少し高い場所から、その問いを見ている可能性はないでしょうか。
少しずつでも高い視座を手に入れることの重要性に気づくべきです。

コメント