こんにちは。高垣です。今日は水火未済について考えていこうと思います。
水火未済は、「まだ完成していない」「物事が成就する一歩手前」といった意味で説明されることの多い卦です。
上卦は坎の水、下卦は離の火。「未だ済らず」という名前の通り、まだ一つの完成した状態には至っていません。
しかし私は、未済を単に「完成できていない状態」としてだけ読むのではなく、完成した後にも次が始まるという視点から考えてみたいと思います。
たとえば、一冊の本があります。
作者は最後の一文を書き終え、作品は完成しています。
ところが、その本を読んだ人の中では、
「この人物は本当に正しかったのだろうか」
「あの場面は、自分の経験にも似ている」
「十年前に読んだときとは違って見える」
と、新しい動きが始まります。
本そのものは変わっていません。
それでも、受け手の中では作品が動き続けています。
作品は完成している。しかし、意味まで終わっているとは限らない。
ここに私は、水火未済を作品から考える面白さがあると思います。
完成は停止ではない
作品を作る側にとって、完成させることは重要です。
「余白が大切だから完成させなくてよい」という話ではありません。
むしろ作者は、まず作品を一つの形として完成させるべきでしょう。
完成したからこそ、受け手へ渡すことができます。
しかし受け手へ渡った瞬間から、作者だけでは決められないものが始まります。
読む人が、自分の人生と重ね、登場人物について考え、作品が示した価値観を疑い、年月を経て解釈を変えるからです。
だから、
作品の最終回と、作品が人の中で働くことの終わりは一致しません。
完成とは、世界が永久に止まる地点ではないのです。
作者の意図は「種」
私は、作者の意図を一つの「種」のようなものとして考えています。
作品を作る人には、伝えたいものがあるでしょう。
諦めないこと。
誰かを信じること。
人を助けること。
自分はどう生きるのか。
商業作品であれば、当然お金の問題もあります。
しかし、
商業として成立することと、人へ何かを伝えることは対立しません。
商品として成立しながら、人の中へ何かを残す作品はあります。
ただし、作者が込めたものが、そのまま完成品として受け手へ移るわけではありません。
作者が一つの考えを置き、受け手が自分の経験の中でそれを考える。
そこで別の意味が生まれます。
だから私は、
作者の意図は、受け手の中で育つための種なのかもしれない
と考えています。
作品そのものを作るのは作者です。
しかし、その作品がその後どんな意味を持つかには、受け手も関わります。
良い作品は完成する。しかし、閉じない
作品が残すものは、必ずしも答えである必要はありません。
私はむしろ、
「それは本当か?」
という問いが重要だと思っています。
この人物の生き方は正しいのか。
この価値観は本当に正しいのか。
自分ならどうするのか。
そうした問いが生まれれば、作品は読了後も受け手の中で動きます。
ただし、問いが多いほど良い作品という意味ではありません。
きれいに完結する作品もあります。
大切なのは、
完成することと、意味が閉じることは同じではない
ということです。
人物の物語は終わってよい。
世界観もまとまってよい。
それでも、受け手が自分の経験と重ねたり、別の角度から考えたりする場所が残ることがあります。
私はそこを作品の余白と考えています。
だから、
良い作品は完成する。しかし、閉じない。
作品が育つとは、受け手が動き始めること
作品が育つといっても、本や映画そのものが変わるわけではありません。
動くのは受け手です。
読む。
考える。
問いを持つ。
誰かへ語る。
そして、また戻ってくる。
十代で読んだ作品と、四十代で読む同じ作品が違って見えることがあります。
変わったのは作品ではありません。
受け手の側です。
だから私は、
作品が育つとは、受け手が動き始めることだ
と考えます。
作者が完成させた作品を受け取った人が動き始めた瞬間、作品は別の時間へ入ります。
完成した作品が、受け手の中で再び未完成になる。
水火未済|完成したところから次が始まる
ここで水火未済へ戻ります。
今回私は、
作品として完成していることと、意味の生成まで完全に終わること
を分けて考えています。
作者は作品を完成させる。
そこで一つの「済」があります。
しかし作品が受け手へ渡れば、新しい問いや解釈が生まれる。
そこで次の「未済」が始まります。
これは、水火未済の古典的意味をそのまま作品論へ置き換えるということではありません。
未済が持つ「まだ先がある」「一つの状態に固定されない」という性質を、作品と受け手の関係へ翻訳しているのです。
完成したからこそ、次の未完成が始まる。
私は、そこに水火未済らしい動きを感じます。
まとめ|良い作品は完成し、そこからまた育つ
作品はまず完成させるべきです。
しかし、その完成を受け取った人の中では、また別の動きが始まります。
問いを持つ。
自分の経験と重ねる。
別の意味を発見する。
年月が経ってから再び戻る。
だから私は、
良い作品は完成する。しかし、閉じない。
と考えています。
私にも、最終回やエンドロールの後まで終わっていない作品があります。
『新スタートレック』や『ゴッドファーザー』は、見る側の自分が変わるたびに、また違った意味を持って立ち上がってきます。
あなたの中で、最終回を迎えた後も、まだ育ち続けている作品はありますか。
次回は、その育った作品世界を作者自身が後から壊したとき、それは破壊なのか更新なのかを、沢火革から考えてみたいと思います。

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